− 鹿児島県内ザビエルゆかりの地 −
[鹿児島市]  [伊集院町]


東市来町・鶴丸城跡

ザビエルと鶴丸城

鶴丸城跡[この丘の上に鶴丸城があった。]→

以下、鶴丸城の麓にある説明書きから

「(前略)当時伊集院一宇治城にあった藩主貴久は、ザビエルが神の救いを伝えるために万里の波頭を乗り越えてきた熱烈な信仰とキリストの教えに深く感動し、領内に布教することを許した。ザビエルは鹿児島での布教に着手し、信者も得られたが、終局の願いは京都に上り日本全土に布教する事であったので、翌年9月鹿児島を発った。途中、すでに鹿児島で洗礼を受けミゲルと名付けられていた一老人の住む鶴丸城を訪ねた。ザビエルに心服していた時の城主新納伊勢守康久は、快く城内に招き入れ、自由に布教する事を許した。康久の夫人と子の久饒、長住をはじめ、家臣ら17人は、キリストの教えに感動し、洗礼を受けた。

↓[薩摩焼の里美山]薩摩焼の里美山

康久にも奨めたが、藩主に気兼ねして洗礼は受けなかった。ザビエルはここに十日間滞在し、後のことをミゲル老人に託して、川内川河口の京泊より平戸へ旅立った。ミゲル老人は、信者を城内の一室に集めて礼拝を行い、信仰の維持につとめた。

11年後の永禄4年(1561年)の暮れには、豊後にて布教活動を行っていたルイス・アルメイダが、貴久の招きで鹿児島を訪ねる途中鶴丸城の信者を訪ね一泊した。信者たちはこれにあきたらず、代表を送って再び招き教えを受けることにした。アルメイダがこれに応えて、十日余りも滞在して教えを説いた。これによって更に70名が新たに洗礼を受けたといわれている。この地は、その後の日本における布教活動の足がかりとなった極めて意義深い地である。」(平成3年12月東市来教育委員会)

↓[江口浜・ここからザビエルは平戸へ2回出航する。]江口浜鶴丸城麓の説明  

 

 

 

 

 

 [鶴丸城麓の説明書。]→


toHome